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お菓子ストーリーズ

修行先②

2021/07/28


修行先②

面接で、後の師匠となる中村シェフと出会いました。最初に言われた言葉は、20年たった今でも覚えています。「君と同じ製菓学校の子が2人、アルバイトをしているんだよね」でした。もしかしたら面接に落とされじゃないかという思いが、頭にめぐりました。どうしても入れて貰いたい私は、「何でもやります。忙しいようなら終電までやります。製菓学校の冬休みの時期は夜勤もやります」と自分が出来ることを、必死に伝えました。昔ある人に言われた言葉があります。

本気で物事を伝えたい時って、両手を動かすようになるんだよ

多分、自分もその時は両手を動かしながら、想いを必死で伝えていたと思います。きっと中村シェフにも、その事が伝わり面接に合格することができました。今、当時の面接の事を思うと、中村シェフは私が本当にやる気があるかを知ろうと思って試していたのだと思います。晴れて東京都世田谷にあ『ラ・テール洋菓子店』のアルバイトとして雇っていただくことになります。

その当時の『ラ・テール洋菓子店』は、中村シェフをはじめ、パティシエ4人、販売スタッフ3人、アルバイト3人の合計11人での店舗でした。『ラ・テール』という言葉、フランス語で『大地』を表します。国産の素材にこだわり、鮮度を大事にしたお菓子屋さんです。多くのお菓子屋さんでは、沢山の種類の種類のお菓子を出すために、ケーキは冷凍、焼菓子の包装にはエージレス(脱酸素材)をいれますが、『ラ・テール』は真逆でした。ケーキは朝、生地を仕込み、ショーケースに並べます。焼菓子は、エージレスは入れずに短い賞味期限での提供。エージレスは、包装して焼菓子の酸素をなくして、お菓子を日持ちさせるものです。もちろん、お菓子を日持ちさせるメリットはありますが、デメリットとして風味や、香りまで酸素と一緒になくしてしまうことです。

この『ラ・テール』でのお菓子つくりの考え方は、現在の私の心にも刻まれいます。ケーキは、冷凍せずに提供。焼菓子もエージレスは入れず、賞味期限は短めです。『ラ・テール』の時よりも短くなっています。私の中で、『食べられる状態=賞味期限』ではなく、『美味しい状態=賞味期限』という考えでお菓子つくりをしています。たくさん作って効率的にではなく、こまめに作って新しく美味しいものをお客様にお渡ししたい気持ち、これは『ラ・テール』で受け継いだDNAです。

お店での初めての仕事は今でも鮮明に覚えています。「木の実あそび」という焼菓子の包装作業。袋に入れて賞味期限シールを張る作業。とにかく失敗しないように丁寧に丁寧にと自分に言い聞かせながらやっていました。製菓学校に行き、終わったらすぐにアルバイトの生活、土日は朝から夜まで、休みがない毎日、そして一番一念で忙しいとクリスマスの時期を経験させていただいた貴重な時間でした。

そして、そんな日々が半年続くと、私の中に「製菓学校」と「現場でのお店の仕事」の違いについて疑問が出てくる出来事がありました。『ラ・テール』に入り、半年過ぎたとき、チーフの本田さんから「カスタードクリームの作り方を教えるよ」と言われました。アルバイトの自分に、シュークリームやタルトに使うカスタードクリームは、フランス語で「クレーム・パティシエール」といわれ、日本語では「お菓子屋さんのクリーム」のことを言います。カスタードクリームは、和菓子屋にとっては、「餡」と同等のもの、つまりお店の味を表すものです。シュークリームを食べるとお店の実力がわかるというぐらい、カスタードクリームは大事なものです。そんなお店の味ともいえるカスタードクリームを教えてくれるなんて、本当に嬉しい気持ちで、何としてもモノにしようと強い気持ちになりました。カスタードクリームは、製菓学校でも習っていましたが、授業は4人一組のグループで使う牛乳の量は200ml。「ラ・テール」では、大きな鍋で使う牛乳の量は、5リットル、しかもすべて自分一人で行います。手や顔が熱くなるまでしっかりと火を入れないと美味しいカスタードクリームはできないので、大変な力仕事です。学校はでは4人で牛乳200ml、お店では、一人で25倍の牛乳量。学校の授業では理論は学べても実践では通用しないなと痛感させられた出来事でした。知識、技術を頭で理解して、それを体に染み込ませて体得する必要にせまられました。

私は製菓学校2年、現場で5年のトータル7年間で実家に帰ると定でいました。その当時、製菓学校は2年生の5月、残り10か月間、製菓学校にいるよりも現場にでて10か月間をプラスしたほうがいいという結論に達しました。早速、中村シェフに相談し「学校を辞めるので働かせてください」と伝えました。シェフもびっくりした様子でしたが、限りがある時間の中、お菓子に真摯に向き合う場に身を置きたい気持ちを理解してくれ、ちょうど製造スタッフが一人辞めるから学校を辞めたら来てほしいと言っていただきました。私を快く東京に送り出してくれた両親には事情を話し、申し訳ない気持ちの中、学校を辞め現場での仕事を始まることに決めました。これから当初の予定の現場5年が、5年10か月、そして最終的には9年間になりました。